優しい歌 第5話 冬の奇跡

    *

 あたしは倉田家の中を案内されていた。

 持ってきた荷物は佐祐理の部屋に置いてきた。

 この家のベッドはどれも1人で寝るには大きすぎるから。

 落ち着かないので彼女と一緒に寝させてもらうことにしたのだ。

 そんなあたしにあの娘はあははっ、と笑いながらこう言ってくれた。

「麗奈さん、もしかして一人じゃ寝られないんですか?寂しがり屋さんなんですね」

 まったく良い度胸をしていると思う。夜になったら苛めてやろう。

「案外、昔と変わってないのね」

 倉田家は見た目も豪華だが中も豪華である。

 天井にはいかにも高そうなシャンデリアが吊るされている。

 祐介あたりが見たら気後れしてしまいそうだ。

 そんな中、ふと床に何かが焼けたような跡が目に付いた。

「これは……」

 佐祐理もそれに気付いたのか覗き込んで、思い出したように笑った。

「あはは、あの時のですよ」

「そうか、あの時のか……」

 あたしは懐かしくなって思わず微笑んだ。

 それは倉田家で行われた社交パーティーの時のこと。

 いつものようにあたし達がちょっとしたおふざけで仕掛けたトラップだった。

 あの時は愉快だった。周りの人たちの表情が忘れられない。

 あとでこっぴどく怒られたが、いい思い出である。

「あれは傑作だったわ。学会のお偉いさんまでがびょ〜んだったからね」

「あはは、でもあれは結構大変でした」

「私は死ぬかと思ったぞ」

「あたしもアレが成功するとは思わなかったわ」

「おいっ」

「ま、こうして生きてるんだからいいじゃない」

「あはは〜♪」

 昔話に花を咲かせていると目的地に着いたようだ。

 扉の上に掛けられたプレートには関係者以外立ち入り禁止と書かれていた。

「そういや、ここの責任者って……」

 なんだか嫌なものが脳裏をよぎる。

「ふっふっふ、よく来たな蛇坂よ……ぐはっ!?

 あたしは条件反射で殴っていた。

 この感触。

 思い出したくないものを思い出してしまった。

「ふふふふ……久しぶりね〜、杉並ぃ〜!!

「まあ、待て。何をそんなに……」

「問答無用っ!」

 ゲス、ガスガスガス、ミシミシミシ、シャキ〜ン。

「ぐはっ!」

 杉並は痙攣しながら動かなくなった。

「はーはー。佐祐理、これは何?」

 あたしはぴくりとも動かない杉並をぶらさげて問う。

 隣で佐祐理とゼクスがひきつった笑いを浮かべている。

「あっあははは。ここの責任者の杉並さんですけどお知り合いだったみたいですね」

「……憐れな男だ」

「ゼクス、なんか言った?」

「何でもない」

 ゼクスとて愚かではない。大人しく口をつぐむ。

「まあいいわ。説明してあげる。こいつとはとある学会で知り合ったんだけどね」

「そう、あれは俺の一大プロジェクトの一環として発表した、機能美と科学の結晶っ!」

 いつの間にか復活した杉並が熱く語り始めた。

「おんどりょあ、だまっとれっ!!

「ぐおっ!」

「……麗奈が壊れた」

「ふえ〜ん、麗奈さんが怖いです〜」

 あたしのあまりの豹変ぶりに2人が怯えている。

 それであたしははっと我に返った。

 ごまかすように咳払いをして説明を続ける。

「とにかく、こんな奴だから最初の印象は最悪だったわけ」

「な、なるほど」

「で、なんの因縁かことあるごとにあたし達は学会で顔を合わすようになって、気付けばこんな関係になってたってわけなのよ」

「俺は驚いたぞ。まさかこの杉並に引けをとらない人物が存在していたとは。今からでも遅くはない。俺のプロジェクトに参加するべきだ」

 またもや復活した杉並が話しに割り込んできた。

「あんたと組むなんて考えただけで身の毛がよだつわ」

「何故だ!?

「確かにあんたの実力には眼を見張るものがあるわ。けどね」

 と、あたしは杉並をびしっと指差してことさらはっきりと言ってやった。

「あんたのその人格と言動に問題があり過ぎるのよ!」

「何を言う。この高貴で崇高な俺の人格をお前ほどの人間が理解できぬわけはあるまい?」

「言ってなさい。この変人」

「案ずることはない。人間にはどんな環境にも“慣れる”という素晴らしい機能があるではないか。さあ、俺と共に輝かしい未来を謳歌しようではないか!」

    *

「あの2人って本当は仲がいいんじゃないでしょうか?」

「かもな。互いを認めた上で、ああいうことができるのだからな」

 佐祐理がぽつりと呟き、ゼクスもそれに同意する。

 二人は完全に蚊帳の外だった。

「ちょっと妬けちゃいます」

「そうか?私はああはなりたくない」

「あはは、でもやっぱり羨ましいです。佐祐理にはあんなふうにしてくれませんから」

「……そうだな。あいつはあまり人を頼ろうとしないからな」

「だから佐祐理も弱音を吐くわけにはいきません。頑張らなくちゃ」

「……一弥のこと、まだ引きずっているのか?」

「……」

「別に忘れることはない。一弥のことが大事だったのなら尚更だ。ちゃんと一弥が生きていたことを覚えててやるんだ。そして一弥の分まで幸せになることだ。それがどんなことをするよりも一番の償いだと、私は思うぞ」

 ゼクスは佐祐理の腕に巻かれている包帯をチラリと見てそう言った。

「そうですね。……解かりました。佐祐理は頑張ってみます。ミリアルドさんありがとうございます」

「気にするな。私も大事な人を失う辛さは知っているつもりだ」

「はい。お互い頑張りましょう」

 1つのことに見切りをつけた佐祐理はまた一歩前に進むことができた。

 麗奈達の口論もひと段落ついたというか本人達が疲れてきたようだ。

「あのー、そろそろ中に入りませんか?」

「そ、そうね。杉並、決着はひとまず置いといて中を見せてもらうわよ」

「うむ、俺もアレには手を焼いているところだったのだ」

 節度があるのか、さっきまで争っていたのが嘘のように杉並は真面目な顔をしていた。

    *

 私にとって娘の名雪は宝物です。

 主人が早くにこの世を去ってから、名雪は唯一の支えでした。

 名雪の願いは全て叶えてあげたかった。

 名雪を悲しませる者は誰であろうと許しはしません。

 だけど7年前、あの日はあまりにも悲しい出来事が重なりすぎた。

名雪は泣いていた。

 祐一さんも泣いていた。

 私も悲しかった。

 だけど誰も責めてはいけない。誰も悪くないのだから。

 だから名雪と2人で約束した。

 祐一さんがもう1度この街に帰ってきたとき笑顔で迎えてあげようって。

 それはまだ小さかった名雪には残酷すぎたのかもしれない。

 それでも7年という月日は名雪を少しは変えてくれた。

 だから私は誓ったのです。

 この先どんなことがあっても名雪を守っていくと。

 名雪にはもうあんな悲しい思いをさせはしない。

    *

 あたしは気分転換に百貨屋に来ていた。

「しかし、問題点が見つかったのに解決策が浮かばないってのはなかなか歯がゆいわね」

 紅茶片手に“連鎖変換システム”の設計図を睨みながら頭を抱える。

 しかし、イマイチよねこの紅茶。

 一応“ミナセ”の葉を使ってるみたいだけど、淹れ方がなってないわ。

 って、いけないいけない。いくら打開策を思いつかないからって逃避しちゃダメよね。

「ここのいちごサンデー、美味しいんだよ♪」

「ん?この声は……」

 どこかで聞いたことのある声がドアベルを鳴らして入ってきた。

 顔を上げたあたしとちょうど眼が合う。

「あっ、このあいだの……」

「蛇坂麗奈よ。そっちは相沢君に水瀬さんでよかったかしら?」

 二人を席に座るよう促しつつ、確認の意味でそう尋ねる。

「久しぶりっていうのも変か」

「いいんじゃない?あれから会わなかったんだから。2人は学校帰り?」

 2人は佐祐理と同じ学校の制服姿。ってことは、佐祐理もそろそろ帰ってくるのだろう。

 不在だとまずいかとも一瞬思ったけれど、ゼクスには言ってあるし、まあいいか。

 それに別に全く仕事をしていないわけでもない。

「はいそうです。蛇坂さんも寄り道ですか?」

「麗奈でいいわよ。あたしも名雪、祐一って呼ばせてもらうから」

「確かに年、近そうだもんな」

 あたしの言葉に祐一がそう頷く。

「それで、麗奈は今日はどうしたの?」

「あたしは仕事、行き詰ったから気分転換にここに来たの」

 頃合を見計らってウェイトレスがやって来た。

「ご注文はお決まりでしょうか?」

「わたし、いちごサンデー♪」

「俺はコーヒーを」

「かしこまりました。少々お待ちください」

 そう言ってウェイトレスは去っていった。

「ここへはよく来るの?」

「うん。いちごサンデーがとっても美味しいの」

 早くも馴染んでいる。懐いてくれるのは嫌いじゃないので悪い気はしない。

「こいつ、常連客なんで」

「へえ、なるほど。だからさっきのひと笑ってたのね」

 さっき来たウエイトレスは名雪の注文を聞いて微笑んでいた。

「一緒にいる俺は恥ずかしいぞ。こいつ、ここに来たら必ずいちごサンデーを頼むんだから」

「好きなんだからいいじゃない」

「でっ、当然祐一のおごりなんでしょ?」

「なんでそうなるんだ?」

「あんた達そういう関係じゃないの?」

「ち、違うぞ。俺達はただの従兄弟同士だ」

「そ、そうだよ。わたし達はただの従兄弟だよ。………ただのね」

 最後のほうはほとんど聞こえないくらいの声だったが、たしかに聞こえた。

 悲しみと憂いを帯びたため息。

 あたしはそれを聞かなかったことにした。

「ふーん、まあいいわ」

「ところであんた、学校は行ってないのか?」

「行ってるわよ。別に行かなくても困らないけど。教師を教壇から蹴落として変わりにやるのも友達と悪ふざけするのも楽しいから、ちゃんと行ってるわよ」

 それを聞いて2人はびっくりしている。

 それもそうだ。普通教師の変わりに教壇に立とうと思う奴などいない。

「こりゃ、香里の比じゃないな」

「うん。麗奈、頭いいんだね」

「そうじゃなきゃ、教師いじめられないでしょ」

「なんだか祐一みたい」

「そりゃどういう意味だ?」

「胸に手を当ててよく考えてみたら」

 そう言って名雪が悪戯っぽく笑っている。

「一応言っておくけど、お約束はなしよ」

「ちっ、ばれてたか」

 機先を制された祐一は小さく舌打ちした。

「という訳で名雪、祐一におごってもらいなさい」

「なんでそうなるんだよ」

「だってあんた、名雪の胸触ろうとしてたでしょ」

「えっ、そうなの祐一?」

 名雪は言われて気付いたのかさっと胸を隠す。

「誤解だ、俺は何もしてないぞ」

「慌てるほうがばれやすいわよ。どうせするなら堂々としてなさい」

「う、うぐぅ」

 あたしの指摘に祐一は妙な唸り声を上げる。

「さて、あたしはそろそろ行くわ」

 そう言ってあたしは残っていた紅茶を飲み干した。

「うーん、悪くはないんだけど。今ひとつってところね」

「俺にはよくわからんが、やっぱり美味いやつとは違うのか?」

「まあね」

 確かに飲み物の味の違いを区別するのは難しい。

 あたしも今に至るまでずいぶんと苦労したものだ。

「だったら家においでよ。うちのお母さん、淹れるの上手いんだ」

「へえ、それは1度飲んでみたいわね」

「じゃあ決まり」

「おいおい、知り合ったばっかりの奴をいきなり招待するのはどうかと思うぞ」

「大丈夫。お母さん賑やかなの好きだから。それに、香里だってそうやって招待したことあるんだよ」

「まあ、お前がそう言うのなら俺は構わないが」

 言いつつ、祐一はチラリとあたしのほうを見る。

「別にあたしのほうも構わないわよ。このまま戻っても捗りそうにないし、夜までは自由だから」

 不思議なくらい自然に、あたしはその誘いに応じていた。

 信じて招いてくれたことは素直に嬉しい。

 春の日溜りを思わせる彼女の柔らかな笑顔にあたしはどこか懐かしいものを感じた。

 思い出を重ねていたのかもしれない。

 名雪は家族の話をするときとても誇らしげに語っていた。

そう、まるであの娘のように……。

かいかぶりだって、そうじゃないんだって何度言っても聞かずに、頑なに信じていた。

 あたしは何も、出来ないのに。

 あのときだって、妹だった彼女をあたしは救ってやることが出来なかった。

 結局、あたしもただの“人”でしかないのだ。

 孤独で、無力……。

 それでも足掻いている。あたしには他にどうすればいいのか分からないから。

    *

 結局、あたしは成り行きで水瀬家まで来てしまった。

 佐祐理には後で連絡しておこう。

「ただいま〜」

 名雪が陽気な声で玄関を開けた。

「お帰りなさい。名雪、祐一さん」

 奥の部屋から現れたのは若い女性だった。名雪の姉だろうか?

「ただいま、お母さん」

「え、この人が名雪のお母さん!?

 あたしは思わずぽかんとしてしまった。

「初めての奴にはやっぱりインパクトあるか」

 それはそうだ。

 見た目、名雪とあまりかわらなそうなのに……。

 不老長寿の秘薬でも使っているのだろうか。それとも実の母親ではないとか。

 どちらも違う気がする。

 前者はおいそれと手に入れられるものじゃないし、後者にしては柵が見受けられない。

 何よりこの二人の容姿、雰囲気は実の親子でなければ有り得ない。

 あたしは慌てて表情を取り繕った。あまりしげしげと眺めるのも失礼だから。

「そちらの方は?」

「紹介するね、わたしの友達で蛇坂麗奈っていうんだよ」

「はじめまして。蛇坂です」

 名雪の紹介を受けて、あたしは丁寧に頭を下げる。

「名雪が美坂さん以外の子を連れてくるなんて珍しいわね。はじめまして。この子の母で秋子です」

 そう言って微笑む秋子さんの目はとても優しい。

「外は寒かったでしょ。さあ、上がってください。今何か暖かいものを淹れますから」

「麗奈紅茶が好きなんだって。お母さん淹れるの上手でしょ。飲ませてあげてよ」

 そう屈託なく話しかける名雪はとても嬉しそうだ。

「……暖かいな」

「え?」

 思わず漏らしたあたしの呟きを祐一が聞きとがめる。

「何でもないわ。上がりましょう」

 そう言って靴を脱ぐあたしに、祐一はどこか釈然としない顔で頷いた。

 名雪の案内で居間に通されると、なにやらいい匂いが漂ってきた。

「今日の晩御飯はお鍋だね。お母さんのお鍋大好き、楽しみだな」

祐一と名雪は着替えるために一旦2階へと上がっていった。

「夕飯時なのにお邪魔してよかったんですか?」

「はい、大勢のほうが何事も楽しいですから。紅茶、何ティーにします?」

「ミルクティーで無糖のをお願いします」

「はい、ちょっと待っていてくださいね」

 そう言って秋子さんはキッチンへ引っ込んでいった。

 秋子さんと話していると、とても暖かい気持ちになる。とても落ち着くのだ。

 ……漠然と、そういう人なんだろうなと思う。

 名雪にあんな表情をさせる人だから、きっとそうじゃないかとは思っていたけれど。

「あの。秋子さん……変なことを聞くかもしれませんが、ひとつ聞いてもいいですか?」

「はい、いいですよ」

 見透かされているような微笑を浮かべて秋子さんが頷いた。

「……家族とは、何なのでしょう?」

 それは自分自身に対する問い掛けでもあった。

 人はあたたかいものだと言うけれど、あたしにとっては必ずしもそうじゃなかった。

 あたしは無限転生者。

 そして、一度誰にも祝福されずに生まれてしまったあたしには、信じることが出来ない。

 父は不況の煽りを食らって失業し、酒と暴力に溺れていた。

母はそんな父の暴力に耐えかねて家を飛び出してしまった。

そして、唯一家族と呼べる存在だった妹は病気でしんでしまった。

 ……何もしてやれなかった。

 今はもう前世の記憶となったそれに縛られるなんて、我ながら馬鹿げていると思う。

 人なんて身勝手なくせに非力で、どうにもならないことなんて幾らでもある。

 それを自分は違うと思うのは傲慢だってことも分かっている。

 けれど、それでも、聖蛇王だったあたしならって、そう思ってしまうのだ。

 あの日救えなかった妹は今は亀谷静香としてあたしの傍らにいてくれる。

 同じように記憶があるはずの彼女はそのことについては何も言ってこないではないか。

 あたしには分からない。

自分を見捨てた相手を許せるほどの意味がそこにあるのかどうか。

 それをこの人は、秋子さんはきっと知っている。

「私にとって家族は“絆”ですよ。何物にも変えがたい大切なもの」

「そう、ですか」

 返された答えは予想通りで、あたしは思わずほっとした。

「同じです。あたしにとってのあの娘は、何よりも大事で、大切な……っ」

 耐えられなかった。大切だからこそ、傷つけてしまった自分が許せない。

 本当なら、いますぐにでも謝らないといけないのに、それが出来ない自分が情けない。

 ――しっかりしなさい蛇坂麗奈。みっともなく泣くなんてらしくないわよ。

 そう心の中で活を入れてはみるけれど、一度溢れてしまったものは止められなかった。

「麗奈さん、人には誰にだって幸せになる権利があるんですよ」

 そっと眼の前にミルクティーを置いて、秋子さんがあたしを抱き寄せてくれる。

「あなたにだって。暖かい場所はあるはずです」

「すみません。取り乱してしまって」

「いいえ、いいんですよ。悲しい時は泣いても」

 あたしは秋子さんに強く抱きしめられていた。

 とても暖かかった。安心できるぬくもりだった。

 そしてあたしは秋子さんに抱きしめられながら、久しぶりに泣いた。

 ずっとこうしたかった。

 誰かに抱きしめられて大丈夫だよって言ってもらいたかった。

 秋子さんはあたしが泣き止むまでずっとあたしの背中を撫でてくれていた。

    *

 それからあたしは秋子さんにいろんなことを教えてもらった。

 紅茶の淹れ方やジャムの作り方、料理のレパートリーも豊富になった。

 秋子さんのおかげで大切なことを沢山教えてもらうことができた。

 感謝しても感謝しきれない。

「あの、秋子さん。母さんって呼んでもいいですか?」

「了承」

 名雪や祐一にははじめびっくりされたが、いつのまにかそれが自然になっていた。

 佐祐理に説明をして今では水瀬家で寝泊りするようになっている。

 その分、昼間はずっと佐祐理の傍にいるようにした。

 佐祐理の手配でこっちにいる間、一緒に学校へ行けるようにしてもらったのだ。

 佐祐理の親友とも友達になった。

 訳あって夜の学校に出入りしてるようだが、ツッコミ役のなかなか面白い娘だ。

 祐一達の友達にもう1人面白い奴がいた。

 情報通の闇アンテナとか言われてるらしいけど、彼女には頭が上がらないみたい。

 連鎖変換システムの件は相変わらず四苦八苦しているが、秋子さんの既成概念に囚われるなという助言からヒントを得て何とかなりそうだ。

 全てが順調に進んでいる。

 だけどそんな時、突然悪魔はやって来た。

 あたしがいつものように朝食の準備の手伝いをしていたとき、それは姿を現した。

「ねえ母さん、このビン何?」

 戸棚の奥に置かれていた邪悪な念を放つオレンジ色の瓶を指差して尋ねる。

 それを見て母さんはこともなげに答えた。

「それはジャムよ。甘い物が苦手な人でも食べられるように甘くなくしてあるけれど」

「ふーん」

 あたしも今までにいろんなジャムを食べさせてもらった。

 イチゴ、マーマレード、ブルーベリー、イチジク、リンゴ等沢山あった。

 中には野菜のジャムもあったっけ。

 それにしてもこんな禍々しいジャムは初めてだわ。

 あたしは恐る恐るそのジャムを舐めてみた。

!!!!!!!!

 口に入れた途端視界が真っ白になった。

 そして暗転したかと思うと走馬灯のように何かが見えた。

――遠い夢を見ていた。来るはずのない夜明けを待ちながら……――

 誰かの声がしたと思ったらビデオの早送りのように映像が流れていった。

 その中に祐一や名雪がいたような気がしたが気にしないでおこう。

 しばらくして視界が戻ってきた。

「どう?」

 気がつくと母さんが感想を聞いている。

 どうやら先程の光景はほんの一瞬のできごとだったらしい。

「な、何かとても個性的な味だった。これだったら何か柑橘類をいれるともっと食べやすくなると思うわ」

 何気にアドバイスをしてしまった。

 だがそうしたほうが効果も抜群だったはず。と言うか何だったのだろうあれは?

 あたしはこの味に覚えがある。

 何だったか思い出せない。頭が思い出すことを拒否している。とても身近に感じるのに。

「そう?じゃあこんど試してみるわね。…はい、これテーブルまで運んで」

 そう言って渡された大皿をあたしは持っていく。

 いっしょにあのジャムも持っていこう。

 たしか名雪はトーストにイチゴジャムを塗ってたわね。

 あたしはそうっとイチゴジャムの中に少量のあれを混ぜて蓋をする。

 うふふふ、どんな反応をするか楽しみだわ。

 朝食の準備を整えてあたしはコーヒーを飲んでいた。

「おはようございます〜」

「おはようございます」

 しばらくするとほとんど寝ているんじゃないかと思われる制服姿の名雪となんだか疲れたような顔をした祐一が降りてきた。

「おはよう2人とも」

「相変わらず麗奈は早いな」

 祐一が苦笑している隣で名雪がトーストにジャムを塗っている。

「イチゴジャム〜」

 名雪は幸せそうだ。

「なんか今日のイチゴジャム、色が違わないか」

「気のせいでしょ」

 顔を引きつらせてジャムを指差す祐一を流して名雪の様子を伺う。

 ジャムを丁寧に塗り終わって口に運んだ途端。

「むにゅっ!?

 突然名雪が痙攣してぴくりとも動かなくなった。

「うわ〜ん、これイチゴジャムじゃないよ〜」

「だっ、大丈夫か?名雪」

「食べた途端になんだか周りが真っ白になって、気づいたら7年前の祐一が……」

 何を思い出したのか身震いしている。

「あらあら、なにかあったんですか?」

「解かりません、名雪の奴トーストを食べた途端に動かなくなって、気がついたらこんどは7年前の俺がどうのこうのと」

 あたしはしばらく思案していて唐突に思い出してしまった。あの薬の存在を。

 そうか、あれと材料が一緒なのね。なんであたしあんなもの思い出しちゃったのかしら?

 となると解毒方法も同じなんだろうな。

 あたしは皆の注意が名雪に向いているうちに、先程のトーストに赤い粉を振り掛けた。たぶんこれで大丈夫なはずだ。

「名雪、これ食べなさい」

「えっ?むぎゅ」

 あたしはちぎったトーストを名雪の口に無理やり押し込んで飲み込ませた。

「ひどいよぉ、せっかくのイチゴジャムを無理やり食べさせるなんて。ゆっくり味わって食べなくちゃ」

「お、おい名雪。もう大丈夫なのか?」

「えっ?そういえば、うん何ともないよ。ジャムトーストも変な味しないよ」

 やっぱりそうなのね。

「よかった」

 祐一が心底安堵した声を出す。

「これでゆっくり飯が食える」

「残念だけどもうそろそろ出ないと遅刻するわよ」

「何―!?

 祐一は時計を見て青くなった。

「名雪っ、急げ!」

「んー、ちょっと急げば大丈夫だよー」

 相変わらず名雪は呑気なものだ。

「お前の大丈夫はあてにならん。このコーヒーは俺が飲んでやる」

「あっ……」

 そういえばあれ名雪が口をつけたやつじゃなかったっけ。

「ん?何だ、文句あるのか」

 しばらくして祐一も気付いたようだ。

「名雪っ、行くぞ!」

「うんっ!」

 祐一は顔を赤くして名雪は嬉しそうに家を出て行った。

「やれやれ、朝っぱらから何をやってるんだかあの2人は」

「ふふふ、麗奈は行かなくていいの?遅れるわよ」

「2人をからかいにちゃんといくよ」

「ほどほどにね」

「解かってるって、ところで祐一は名雪の気持ちに気づいてるのかしら?あいつ鈍そうだからなあ」

「名雪のこと気付いていたの?」

「見てれば解かるわ。でも、訳ありみたいね。なんだか憂いを帯びているわ」

「そう」

「まあ、それはあの2人の問題だからどうこう言う筋合いはないか。応援はしたいけどね」

「ありがとう麗奈。あの2人にはどうしても幸せになってほしいの。いろいろあったから」

 あたしはそれを特に気にしない。代わりに別のことを追及した。

「ところで母さん、どうしてあんなものをジャムにするかな」

「あら?やっぱり気付いてたの」

「確かにあれは最強の漢方薬として昔から使われてたけど、あれははっきり言って劇薬よ」

「でもアドバイスをくれたでしょ」

「あれは酸で性質変化させて体に優しいものに変えてるの。そのままでも効果は十分あるけど、どんな副作用があるかまだ解明できてないんだからね」

「私のこと心配してくれるの?」

「だって大事な家族だから」

 あたしは照れくさくなってそっぽを向いた。

「ありがとう、麗奈」

「あたしもそろそろ行くわ」

「そう、いってらっしゃい」

「行ってきます。母さん」

    *

 どうやら眠ってしまっていたらしい。

 向かいで真も寝ている。

 ずいぶんと長い夢を見ていた気がする。

 そんなことを考えているとふと祐一と名雪の顔が思い浮かんだ。

 少し前に手紙が届いていた。

 2人とも問題はいろいろあったみたいだけど、晴れて恋人同士になったそうだ。

 母さんのジャムの威力は相変わらずらしい。

 そういえば電話ではよく話すけど、直接は3月頭の学会以来会ってないな。

 この騒ぎが収まったら久しぶりに会いに行こう。

 あたしの自慢の“母さん”に。

 



 あとがき

 

 こんにちは堀江紀衣です。

 今回は麗奈さんが秋子さんに諭され謎ジャムの中身が明かされそうな?お話です。

紀衣「いやー、今回は麗奈さんが目立ってましたね」

麗奈「そんなことはどうでもいいから、さっさと始めるわよ。佐祐理用意はいい?」

佐祐理「はい、いつでもオッケーです」

 麗奈、マイクを持って咳払いをする。

麗奈「ただいまより、堀江紀衣着せ替えショーを行います」

紀衣「えーっ!」

麗奈「はい、そこ騒がない」

 紀衣、連れて行かれる。

麗奈「記念すべき第1回目は……」

紀衣「こんなの着るんですか?いかにもスキルを習得させられそうな服を」

 紀衣、暴れる。

麗奈「少々お待ちください」

 麗奈、舞台袖に向かう。

麗奈「おらー、これ食わされたくなかったらさっさと着ろー!」

紀衣「きゃあああああ!」

 麗奈が戻ってきた。

麗奈「お待たせしました。第1回目は病人の疲れた心を癒す白衣の天使。黒髪に映える純白の衣。そう、言わずと知れたナース服」

紀衣「貴方の心に永久の笑顔を。わたしはいつも貴方の想いを受け止めます(うう、恥ずかしいよ〜、帰りたいよ〜)」

麗奈「うん、なかなか決まってるじゃない」

佐祐理「はい、いい感じに写真も撮れましたよ」

紀衣「あの〜、わたし達しかいないのにどうしてこんなことするんですか?」

麗奈「何言ってるのよ。今のをどこかで見てる人がいるかもしれないのよ?あんたの魅力を世に知らしめる絶好のチャンスじゃない」

佐祐理「そうですよ。紀衣さんの魅力に気づかない人なんて絶対いません。だから自信を持ってください」

紀衣「そっ、そうでしょうか?」

麗奈「そうよ。という訳で次回もお楽しみに」

紀衣「やっぱりそうなるのね」

 

 




麗奈がメインだったな、今回は。
美姫 「そうね。どこかほのぼのとしたお話だったわね」
うんうん。ええ話やね。
美姫 「あとがきも絶好調ね」
うんうん。笑える話やね。
美姫 「さて、次はどんなお話が待っているのかしら」
そして、どんなコスチュームが出てくるのか!
やはり、定番のブルマやスク水か。
美姫 「次回のあとがきも見逃せないわよ」
ではでは。



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