空間が歪曲する。世界と世界を無理につなげようとする行動による結果。世界と世界をつなげるためにはその一部を曖昧にしなければならない。

 

 結果、光も音も、正常に進む事が出来ずに不可思議な場所が目の前に広がる。

 

 

 空間が歪曲して現れるのは……大河達が望んでいる迎えではなかった。

 

「迎えに来たぞ、ロッテ」

 

 そこには怒気を無理に抑え込んでいる声。デュクロスとその配下たちだった。

 

「デュクロスっ!!」

 

 視認した瞬間にトレイターを取り出し、大河はかまえる。その姿に一部の隙もないが……生憎とそれは大河一人だった場合に限る。

 

 デュクロスが声をかけるまでもなく、リザードマンが突進を仕掛けてくる。

 それほど速いとは思えないと頭が判断するが、大河の体は思うようには動けない。マナの少ないこの世界ではトレイターの力は十全に発揮される事はなく、大河の身体能力は、鍛えている高校生程度の力しか発揮できない。救世主としてモンスターと張り合えるほどの力はない。

 

 降りかかってくる刃をトレイターを斜めにする事で打ち合わないようにする。今の大河の臂力では真正面からリザードマンの攻撃をしのぐ事などできない。大河と同じ日数をリザードマンがこの世界で過ごしていれば、今の大河でも赤子の手を捻るが如く、素手で倒せるだろうが、今のリザードマンにはマナが充足している。そのため、結局はリザードマンの臂力はアヴァターにいる時と変わりはない。

 

 

「ロッテーーーーっ!!!」

 

 大河がリザードマンばかりに気を取られていた為にガーゴイルの存在に対して何もできていなかった。

 大河とて余裕があるのなら牽制ぐらいしていただろうが、リザードマンから眼をそらせばその瞬間、一刀両断されてしまう。

 

 ロッテもクレアも逃げ回る事ぐらいはできただろうが、悲しい事に初めて事後だったために、足に力が入らない。思い出を作った弊害がここに生まれてしまった。

 

 

 大河を責める事など誰も出来ない。本人を除いて。

 

おぉおおおおおおおおおおっ!!!

 

 攻撃と呼ぶにはあまりにも直線的。虚実など一切ない攻撃。ただ、純粋に前に進み、相手を突き刺すことだけを考えた姿勢。

 大河が何をしようとしているかなど見れば丸わかりだ。だが、分かっていても避けられない攻撃というものはこの世界には存在する。

 

 怒りは力を呼ぶ。憎しみは力を作る。負の感情は人に一時的にでも限界を越える力を用意する。

 しかも、救世主である大河が力を本気で欲するというのなら■■が応えないはずもない。そう、この瞬間、大河はマナの供給を確実に受け、一時的にアヴァターにいる時と同じだけの力を発揮する。

 

 神速の踏切、神速の左腕の引き、その二つによって実現される神速の刺突。何をするか分かっていても反応できない程に速ければ避ける事などできない。

 

 トレイターがリザードマンの眼に突き刺さる。

 

トレイターーーーっ!!!

 

 力を求める。さらに、さらに求める。トレイターはそれに反応するかのように輝いて、大河に力を与える。

 

「おらぁあああああああっ!!!」

 

 掛け声とともにトレイターに力を込めて、リザードマンを真っ二つに引き裂く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

外伝 喪失の調、諦念の嘆き 7

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だが、

 

「私の勝ちだな」

 

 そこにはロッテの手を絞め上げながら、世界の歪の前にデュクロスがいた。大河がリザードマンを斃す事に集中している間にロッテは敵の手に落ちていた。

 

 怒りを納めているデュクロスが悠然と歪の中に入り、同時に歪の中から数匹のモンスターが姿を現す。出てきたモンスターはその場から一歩も動く事はなく、守るように武器を構えているだけ。

 

 デュクロスに命じられて二人が歪を通れないようにしている姿に大河は歯噛みした。火事場の馬鹿力とも呼ぶべき手段で持ってリザードマンを斃す事は出来たが、これだけの数相手ではそんなものはいつまでも続かない。

 

 

 

 睨みあい、動く事が出来ないこの時の中に一手投じられる。

 

 

 

 

 

 

 

 その一手は力を宿した矢。燦然と輝きながら敵を尽く貫いていく。

 

 

「遅くなってごめんね、お兄ちゃん」

「ごめんなさい、時間がかかってしまいました」

「助けに来てやったわよ」

「師匠、無事でござるか!?」

 

 目の前にある歪とはまた異なる、歪が大河の後ろにあり、そこから未亜、ミュリエル、リリィ、カエデ、ベリオが出てくる。

 

 その手には敵を破壊する光。一瞬、光が生み出され、光が敵を蹂躙していく。マナが薄い世界であるというのにその力はアヴァターにいるときと変っているようには思えない。

 そんな光が幾条も生み出され、敵を蹂躙していく。気付けば、半数以上も減っている。

 

ここでナナシとリコがいないのは、何かあった時のためのバックアップ要員としてこちらにきていない。実際の所は大河がいる世界に行きたかったのだが、生憎、彼女たちはマナの少ない世界では生きていけない。

 リコは世界の理を司る書の精霊。その体は有機物でできているように見えるが、実質はマナや情報などで構成されている。ほぼ情報生命体に近いリコはマナの薄い世界では身体の情報やマナを結合するためのマナが不足して体が崩壊しかねない。ナナシは情報生命体ではないものの、身体の接続に大量のマナを消費するために、この世界に来たとたん、体がバラバラになってくっつかないという事もありえる。

 

「大河君、ここは私達に任せて、追いなさい」

「学園長。行ってきます」

「大河、私も行くぞ!」

 

 デュクロスが開いた歪に足を進めると同時にクレアが同行する。彼女とて、妹を奪われて平静でいられるような人間ではない。王族として切り捨てるべきときを知りながらも、それが今ではないと知っているから彼女は前に進む。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここまで来れば」

「悪いが、遅いお前の足じゃ俺からは逃げられねぇよ」

 

 大きな扉の前。その先には王族が次世代に託し、世界を護る為に用意された魔導兵器が安置されている。そこで一息つけると思ったところに、クレアをお姫様抱っこした大河が姿を現す。

 

 蛍火とは異なり異次元酔いなどしていない為に、アヴァターに戻ってすぐに力を発揮できた。だからこそ追いつける。

 

「観念せよ」

 

 絶対的な宣言。王者による下位の者へ向けられる命令。その言葉には抗うことが出来ないほどの力が篭っていた。

 クレアにとっては目の前の存在は二重に許せない存在。国を混乱に陥れようとして、妹を傷つけようとした。憎くないはずもない。

 だが、王者として、彼女は可能な限り感情を挟まずに、冷静に告げる。故にこそ、その言葉に乗せられた力は強い。

 

 

 その姿に、その威勢に、デュクロスの心は敗北した。格が違う。

 だが、成し遂げなければ成らない事がデュクロスにはあった。

 

「何故、何故分からない! 貴方は何故、破滅に対抗しようとする! あれほどの数を、あれほどの力を持つ存在に勝てるというのか? 交渉して、生き残ろうとは思わないのか!?」

「愚かな」

 

 デュクロスの願い。それをクレアはたった一言ではき捨てる。破滅の本質を知るのならば、デュクロスの言い分は愚かとしか言いようがない。

 だが、少しでも勝率の高いほうへ、傷付かないほうへ、歩もうとするのは間違ってはいない。人として間違ってはいない。

 純粋に知らなかっただけ。知っている者からすれば、無知こそが罪であろうが。

 

『助けよう』

 

 大河が、足を一歩踏み出した瞬間、声が聞こえた。エコーがかかっていて誰の声か判断しにくいが、まぎれもなく女性の声だった。大河が知らない誰かの声。

 

「あっ、あぁああああああぁぁぁぁぁあああああっ!!!」

 

 声が聞こえ、わずかな間もなくロッテが奇声を上げる。まるで己の内側を食い荒らされているかのような苦悶の声。

 体を身悶えさえ、頭を抱えて、体を小さくする。

 

 苦悶の声を上げながら、ロッテはその腕を振るう。子供の一撃、遅い拳。そう、大河は思っていた。

 だが、予想に反して、ふるわれた拳は想像以上に速い。下手をすればカエデが通常で使う速度と同じぐらいの速度。

 

 カエデの通常の速度は、一般的にはその道のプロが全力で出した速度と同程度。

 だからこそ、ロッテの攻撃は、あり得ない。

 

『何を驚いている? この娘は私に支配されているんだ、リミッターぐらいないに決まっているだろう?』

 

 目の前にいるロッテはすでにロッテではなくなっていた。表情に感情が欠片も浮かんでいない。ロッテの表情には力がなく、まさに人形という事があてはめられる。

 痛みを無視すれば、人は筋力を限界まで使える。理論値まで使う事が出来れば、幼子とて想像以上の力を発揮できる。

 

 『支配』という言葉に大河は違和感を覚えた。人を操る事で出来る魔法があったとしてもそれは基本的に相手を催眠状態に陥らせてこそ、意識がはっきりとしている人間を支配するなど、あまりにも非効率的すぎる。

 

 そんな事をするぐらいなら、廃人寸前の人間を使った方がよっぽど効率がいい。

 

 

 ロッテが踏み込み、拳を振るう。拳を振るう為に鍛え上げられた筋肉ではない為にその拳に力が乗っていない事はすぐに分かる。

 だが、力がなかろうとも、その速度は驚異的。速度があるというのはそれだけで凶器になる。

 

 大河は拳を避け、トレイターを振りかぶろうとするが、踏みとどまる。操られているとはいえ、目の前にいる少女はロッテ。

 本気で攻撃できるはずもない。

 

「なんで、お前が支配できる」

 

 いらだちを隠せていない声で大河が詰問の声を上げる。視線には恨みが、声には怒りが、握られた拳には憎しみが込められている。

 

ロッテを攻撃できないので、大河はトレイターの腹で攻撃を受け、流す。

情報は金銭よりも、時に命以上の価値を誇る。状況を打破するのに必要な情報を大河は必死になって得ようとする。

 

『なんだ、デュクロスから聞いていないのか? この娘は私が死霊術で赤子の時に死んでしまったバーンフリートの娘だ。今回の為に、私がわざわざ人形として仕立て上げたんだよ』

 

 想像を絶する答えに、大河は茫然とした。目の前にいる少女がすでに亡き者であり、少女は人間でなく、生きてすらいない。その答えを信じられるはずもない。この数日であんなにも記憶に残る生活を過ごしてきたというのに、あんなにも様々な表情を見せてくれたというのに、その全てが偽物。その全てが作りものであったなどと信じられるはずもない。

 信じたくなどない。

 

 

 だが、その兆候はあった。人間であるのなら、たかだか異世界に移動した程度で不治の病のような症状が出るはずもない。ロッテが人間であるのならば大河たちと同じように無事でいるはずである。ロッテの病、それはマナ欠乏症。魔導によって体の形を、魂の形を維持している存在だからこそかかる病。

 取り込むことのできないマナを求めて体が熱を発し、体の維持する事ができないほどに消耗してしまったために体機能を落として――体温の低下――でも存命しようとする体の動き。それは全てロッテが人間でない事を示していた。

 

『誤算は、この娘に自由を与えすぎて自意識が強くなってしまった事ぐらいか』

 

 ロッテの口から発せられる別の女性の声が、呆れた口で呟いた。

 その瞬間、ロッテの体が今までの動きと比べて精彩さを欠くようになる。人形のようだった表情も僅かに苦悶を浮かべている。

 

 苦悶でしかない、だが、苦悶であったとしても、ロッテの表情を浮かべられている。

 

「大河! 私ごとっ!」

「出来るかよ! お前を傷つけるなんてできねぇ! 好きになった女を傷つけるなんてしたくもない!!」

 

 どこまでも綺麗な言葉。どこまでも信念溢れた言葉。大河だからこそ、救世主となるべき存在である大河だからこそ、その言葉には力があった。他の誰が口にしても詭弁にしかならないだろう。だが、大河はその言葉の意味をたがえる事なく、本気で思っている。

 だからこそ、その言葉には力があり、その言葉は人の心に伝わる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もう少しで開く、開くぞ!」

『残念ながら終わりだよ』

 

 ロッテが抑えている間に扉に細工していたデュクロスの歓喜の声を女性の声がさえぎる。喜びに打ちひしがれている所に浴びせられた冷水。その言葉にデュクロスは固まって、呆然とした。

 大河は動きを止めているロッテを抱えて、デュクロスから距離を取っていた。

 

『マスター、準備完了です!』

 

 大河の脳裏に聞こえたのはリコの完成を告げる合図。本来、アヴァターに戻ってすぐに合流するはずだったカエデとベリオがこの場にいなかったのは、リコに伝言を頼む為だった。

 

 リコの声と共に、この場にいる人間が魔法陣に取り込まれる。その光は大河が元の世界に飛ばされた時の光ととてもよく似ている。

 そう、この光は召喚の光。リコがあの古代魔法陣の周囲十数キロに存在する人間を根こそぎ移動させるための光。

 

「俺達の勝ちみたいだな」

 

 光の中で大河はデュクロスに向かって笑う。いたずらが成功した少年のように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 学園の闘技場の端に蛍火が、煙管を吸いながら座り込んでいた。その眼下にはリコ。

 リコが召喚魔法を駆使して、大河やロッテ、デュクロスをこの場に召喚させ、この場で決着を付けさせるというのは蛍火も情報をつかんでいた。

 そのため、蛍火は何かあった時のためという名目でこの場で、これからの成り行きを見続けるつもりだった。

 見守るのですらない。ただただ、見続けるだけ。何もせず、応援もしない。

 

「やっぱり、ここにいたのねん、蛍火君♪」

「おや、今日は非番では?」

「ん〜、色々と疑問が湧いたから蛍火君の所に聞きに来ようと思って……ねぇ、蛍火君。今回の案、デュクロスが考えたにしては巧妙すぎるのよん。というか準備の段階と策の質が違うみたいに感じるのよ。それでねぇ、…………君が考えたんじゃない? 今回のを」

 

 どこまでも貫くような視線。クレア直属になるだけの胆力と想像力、状況観察能力だった。蛍火は心の中で称賛を贈った。

 なぜなら、このシナリオの中で蛍火が考案したなどという事実に直結するような判断材料は皆無に等しい。デュクロスの思惑を知った蛍火が、ロベリアを使ってデュクロスと連絡を取り合って、ロッテを人形に仕立て上げたのとてロベリアの手を使った。

 白の主としての蛍火を知らない者ならば、絶対にその事実にたどり着けない。情報が絶対的に不足している中でたどり着けるはずもない。

 

 だが、その中でダリアはたどり着いた。それが勘だとしても、たどり着いた。

 

「あっはっはっは、えぇ、そうです――――」

 

 言葉を続けるよりも早く、ダリアが袖口から短剣を抜きとり、蛍火の首筋に向って斬撃を解き放つ。どこまでも自然な動作、どこまでも素早い動作。どこまでも実戦的で、暗殺に適した刃筋。

 

 その道の人間でなければ、気付かないうちに喉をかき斬られていたであろうその短剣は、蛍火の喉元の直前で素手で握られ、止められていた。

 

「といったらどうします? と聞こうと思っていたのですが、随分と性急な」

「あらん、ごめんなさい♪ 蛍火君、国家反逆罪とか、表沙汰に出来ない凶悪犯だから、ついその言葉を信じちゃった♪」

「否定できないですね」

「そうねぇん。でも、蛍火君が王国の敵に回るというのなら、刺し違えてでも殺してあげるわよ?」

「美人と心中というのも中々に乙ですね」

 

 どこまでも穏やかな会話の中での命のやりとり。

 蛍火はこの事について何も問いかけない。何故なら、この立場を蛍火が望んでいるのだ。もはや為すべき事を得た蛍火にはこの方が好都合。

 彼は、どこまでも、独りの道を歩もうとしていた。

 

「手は貸さないの?」

「人一人相手に救世主候補が全員出張っている時点で過剰戦力な気がしますがね。それに、クレア王女殿下とシャルロッテにかかわった当真が終止符を打つのが定石でしょう。無駄な手出しは当真のプライドを傷つけちゃいますし。自分の女の前でぐらいかっこつけさせてあげてくださいよ」

「男の子だもんね〜。って、まさかっ!?」

「どうやら、嫌な予感が的中したようです。あの二人、やけに内股ですし」

「…………大河くんが王様ってのも悪くないわね♪」

「汗が出ていますよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 景色が正常に戻り、大河に見えたのは見慣れた学園の闘技場。その中で、大河とクレア、ロッテがデュクロスと対峙している。

 この場に転送したのはリコなので、リコもそう時間がかからない内に姿を現す。伝言に走ったカエデもベリオも、ナナシも姿を現すだろう。もはやデュクロスに逃げ場はない。

 

「往生したらどうだ、デュクロスよ」

 

 いっそ優しいとさえ思えるほどのクレアの言葉。だが、その言葉は終わりを告げる言葉で、その優しさに惑わされて従う事はデュクロスにはできない。

 

 デュクロスはうつむき、クレアと眼を合わせる事はなかった。拳を握りしめ、その拳が震えていた。

 

 そして、顔を上げた時にはまだ光は失われていなかった。

 

「……………破滅よ! 私に力を!」

 

 デュクロスが願うは、この場を逃げ切るだけの力。死ななければ人は敗北してもやり直せる。死からさえ逃れ、最後に勝つ事ができれば十分である。デュクロスはそう考えていた。人生はそうでもあるが、生きていればやり直せるとは限らない。

 

 そして、何よりも救いを求める相手が悪かった。破滅という存在に救いを求めたとしても返ってくるものはない。何よりも、彼が本当に取引しているのは蛍火。そんなに甘いはずもない。

 

『いいだろう。お前に力を…………二度と戻れぬ力を』

 

 ロッテの口から聞こえてきた声と同じ声がデュクロスの脳裏に響いた。声は届いた。だが、返答はデュクロスの望むものではなかった。

 

 

 光がデュクロスを包み込む。瞼を閉じていなければ眼を焼かれてしまう程の光。

 光と共にデュクロスの存在感が変化していく。人のそれでしかなかったモノが徐々に大きくなり、人の枠から外れていく。

 

 

 

 光が収まり、デュクロスがいた場所には異形の存在がいた。顔を覆いかくす程の硬質の鎧、体の中心にある大きな眼、腕の長さ程にある爪、浮遊している身体。そのどれをとっても、人間としてのデュクロスの面影はない。

 

「これが……破滅のやり方かよ」

 

 その姿を見えて大河は苦々しく言葉を吐き出す。救いを求めた者に対して、人以外の何かに変えて力を与える。

 大河にとってデュクロスは憎くて仕方がないと言えるほどに嫌悪している。だが、それでもこんな風に人以外の何かに変えられるような光景を見て喜べるほど、人間として腐ってはいない。

 

「大河、倒してくれ。アイツはもはや破滅に染まり人ではなくなった。交渉の余地はない。捕らえる事に意味はない。だから、倒してやってくれ」

「それしか、ないのかよ」

 

 人を殺すという意味を大河は知らない。目の前にいるのが人ではなくなった存在とはいえ、元々は人だった。今までモンスターなら良心の呵責もなく躊躇なく殺す事が出来た。だが、相手が元人であるのなら、話は別となる。

 

 どんなに憎くとも、どんなに嫌っていようとも人をすんなりと殺せるような大河ではない。

 

 

 

 

 デュクロスの動きは鈍い。下手をすればゴーレムなどのぐらいの動きの遅さ。だが、動きが遅いというのは総じて力が強い傾向がある。

 一撃が致命傷になりやすいような攻撃をしかねない。

 

 距離を測りつつ、どこから攻めようかと考えている最中に、デュクロスの姿がかき消える。

 

「なにっ!? ちぃっ!!」

 

 消え、姿を現した瞬間には大河の後ろに移動していた。そのすぐ近くにはロッテとクレア。デュクロスの狙いはその二人に絞られている。

 爪が振りかぶられる。その爪が振り下ろされるだけでクレアとロッテの命は潰える。

 

 確認するよりも早く、判断するよりも早く、思考する必要すらなく、大河は己が持てる力を振り絞って駆け出し体当たりを食らわせた。

 

「あんま離れるな!」

 

 腰を抜かしているロッテと気丈にロッテを支えているクレアに向って怒鳴っているのに近い声を上げる。本来なら戦闘力を持たない二人を傍に置くのは危険だが、大河と距離が離れすぎている時に、デュクロスがテレポートしたとすればすぐにカバーに回れない危険性を考えたためだった。

 

 テレポートさせるよりも早く倒せれば問題はないのだが、敵がどれほど生命力をもっているのかもわからない。遠く離れていても遠距離攻撃が出来るのなら時間は稼げるがそれはない。

 

「リコ達はまだかよ」

 

 まだリコ達四人は姿を現さない。四人がいてくれるのなら大河は後ろを気にせず戦いに集中できたというのに。

 だが、この甘さこそが大河で、これこそが人としての本当の強さとも言える。

 

 

 

 

 迫り、剣を振るう。相手がテレポートを使う事を考えると容易に一撃で決められる戦斧を使う訳にもいかない。すぐに移動できる事を考慮して剣で対応するのがベター。

 

 袈裟、左切上、唐竹、胴、剣を振るって斬りつける。斬撃の嵐を生み出す。

 斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬っ!

 

 斬撃の連続。刺突を得意としない大河にとっての最高の攻撃方法。腕力と持久力、トレイターの軽さを利用しての斬撃の檻。

 

 一撃一撃が別の場所に当たる。一か所と手同じ場所に当たる事がない。

 

 

 だが、デュクロスだったモノはその攻撃を受けてよろめいたりはしているが体に傷を受けてはいない。その体があまりにも丈夫な為に、技まで昇華していない大河の攻撃では斬り裂く事が出来ない。

 

「かてぇ」

 

 ため息すら出るほどの硬さだった。ダルトとほぼ同じぐらいの硬さだった。

 

 

 だが、硬いからといって逃げるわけにはいかない。破滅となり果ててしまったのなら見境はなく周囲に甚大な被害を及ぼす。

 テレポートも使えるのだ、逃げきれるとも思えない。

 

「うおぉおおおりゃあああああっ!!!」

 

 大上段からの斬撃。自重、遠心力、重力、その他諸々の力が乗った恐らく、通常時の大河が出せる最高の一撃。

 だが、その攻撃はデュクロスの爪によって容易く受け止められる。爪ごと引き裂くには力が足りない。

 

 爪が三分の一ほどまで切断出来ているが、それも安心できない。爪という体の一部であるのなら折れたとしてもまたすぐに伸びてくるかもしれない。

 

 

 

 一呼吸入れるために、後ろに下がる。

 後ろからはロッテとクレアの不安が混じった視線。クレアも覚悟していたとはいえ、実際にモンスターと相対するのは初めてで、ロッテに至ってはそんな覚悟すらできてない。

 だが、気丈にも二人は大河を気遣いながらもしっかりと両の足で立っている。

 

 それだけ信頼されている。それだけ当真大河が勝つ事を信じている。後ろの攻撃を逸らさないと信用されている。

 

「答えない訳にはいかないよなぁああああっ!!!」

 

 トレイターをランスに変えて突撃形態に変化する。硬く、斬撃が通らないのなら力点を絞ればいい事。

 大河は剣状態での刺突はあまりうまくないが、ランスの状態なら出来る。ランスは、突撃槍は本当に突く事こそが最良の使い方。その最良の使い方を大河が使いこなせないはずもない。

 

 

「らあぁああああああああぁあああっ!!!」

 

 突く、突く、突く、突く、突く、突く、突く、突く、突突突突突突突突突突突突突突突突突突突突突突突突突突突突っ!

 

 刺突の連撃。引き手と突き出す速度が尋常ではない刺突の壁。体を捻る事など考えない。唯純然と敵を刺し貫くために引いては突き出すの繰り返し。

 単純な作業にも見える。これだけならばよけられるかもしれない。だが、その速度はもはや槍の先が壁に見えるほどに尋常ではない。

 

 足の遅いデュクロスでは耐えしのぐことしかできない。爪を体の前にかざし大河の息が切れるのを待つかのようにどっしりと構えている。

 

 

 

 だが、瀑布の如き刺突の連撃の中ではデュクロスの体とていつまでも持つはずもない。

 一本、一本とまたデュクロスの爪をはがしていく、弾き飛ばしていく。

 

「あと、少しだっっ!!!」

 

 手は止めない。否、もはや止まらない。良心の呵責も、倫理感も何もかも忘れてしまって大河の手は止まらない。

 

 

 

 

「マスターっ!!」

 

 声が聞こえた。仲間の声が聞こえた。あと少しという所で聞こえた仲間の声。

 大河は安堵した。これで後少しでも後ろを気にせずに戦える。敵だけを見て戦える。クレアとロッテが傷つく可能性が激減する。

 

 デュクロスの腕はボロボロ。腕で隠しきれていない部分はもはやでこぼこになっていて、終わりは近い。

 

 

 だからこそ、安心していた。仲間の声が聞こえたから安堵してしまった。

 

 

 

 

 

 

「えっ?」

 

 ほんの一瞬の油断。ほんの一瞬の安堵。それが戦況を一変させる。

 デュクロスの体の中心にある目玉が赤い光を発している。その光は莫大な力を溜めこんでいて、大河であったとしても体の一部を貫いてしまうほどのエネルギー。今の今まで、デュクロスの攻撃はその鋭い爪しか振るってこなかった。

 遠距離の攻撃はないと思っていた。油断と言えば油断。戦闘の途中で思い込みは死を招く。

 

「ちぃいいいいいいっ!!」

 

 体を捻る。目玉の照準はちょうど大河を向いている。止められるかどうかも分からない攻撃。

 だからこそ、大河は回避を選択した。

 

 

 仲間の声が本当はまだクレアとロッテが離れていない事に気付かずに、後ろにはロッテとクレアがいる事も忘れて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 光線が通り過ぎる。莫大なエネルギーを一点に集中させて、敵を貫かんと。

 

 光線を避けながら、大河は後ろを向いた。そこには、事態についていけずに固まったままのクレア。

 

 

 

 大河の視界がモノクロに染まる。クレアの身体能力ではこの光線を避ける事は出来ない。ここから大河が駆け出したとしても光速に近い速度の光線には勝てない。リコ達はまだ遠い。

 

 

 

 助からない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おねえぇええちゃんっ!!!!」

 

 モノクロの視界の端でクレアと同じ色を持った、クレアと同じ顔をした少女が動いていた。声を上げながら、必死の形相で動いていた。

 

 右手を突き出しながらロッテはクレアに向って進む。

 

 

 

 

 ロッテの右手がクレアを押し出す。それだけでクレアは射線から外れた。本当にほんの少しだけだが、十分にクレアは光線の威力の外にいる。

 

 ロッテを代償として。

 

 

 

 

 

 

「ロッテっーーーーーーーーーーっ!!!」

 

 クレアが押し出されて後の瞬きの間にロッテの心臓の部位に光線が通り抜けた。焼け焦げた跡が胸に残り、小さい穴だが、向こう側までしっかりと見えるほどに貫通していた。

 

 

 

 

 駈けつけようとしたところに遮るようにデュクロスの爪が振り下ろされる。

 邪魔をするのかとデュクロスをにらみ付けるとデュクロスだった存在は嗤った。どこまでもいやらしく、口が裂けんばかりに大きく笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 プチンと大河の理性が切れた。

 目の前の敵を滅せよと、叩き潰せと本能が訴えかけた。

 

 

デュゥゥゥクローーーーースッ!!!!!!!」

 

 剣の状態に戻ったトレイターをがむしゃらに振るう。理性が焼き切れていて理想の剣閃を描けない。

 だが、それがどうした? 速さに勝る攻撃に、一撃の重みのある攻撃にそんな物など不要。

 

 速度は力となり、重みは力となり、全てを叩き潰せる。

 

 

 速度が上がる、一撃の重みが増加する。どこまでも力の限り、トレイターを振り続ける。

 

 それはもはや、剣の嵐。檻などどいう生易しいものではなく、全てが切り裂くための斬撃。

 

 デュクロスの体は硬い。それがどうした? 一撃で敵を切り裂けない。それがどうした?

 ならば、もっと力を込めればいいだけ。さらにさらに力を振り絞ればいいだけ。音の壁すら突き破れっ!!

 

トレイターーーーーーーーっ!!!!!

 

 全力すら超えた力を、人間が出せる力の限界以上を、今まで供給されている力以上を求めるために、相棒に声を掛ける。

 

 その声に呼応するかのようにトレイターが煌く。明けの明星の如く、燦然と光輝く。

 

 

 一閃、二閃、四閃、八閃、十六閃、三十二閃、六十四閃。斬撃の数は増え続ける。斬撃は光の帯となり嵐すら超える。

 

 人知すら超えて、神域までのし上がる。

 

 それは剣の暴風。剣撃のみが存在する剣の風。

 

 

 

 この瞬間、大河は救世主と同等の力を手に入れていた。

 

 

「キエロっ!!!」

 

 言葉と共にトレイターがさらに輝く。太陽のごとく煌々とマナと魔力を燃やして輝く。

 その一撃はもはや人の域に非ず、その一撃はただの救世主候補に出せる一撃に非ず、その一撃こそは救世主になりえる者にしか出しえない一撃。

 

 大上段から振り下ろされるトレイターは、光の軌跡を描きながら、デュクロスの体を分断し、文字通りこの世界から塵にまで分解した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ロッテっ!」

 

 クレアが抱き上げたロッテはすでに血の気が無くなっていた。胸元に空いたぽっかりと空いた穴から流れ出る血がロッテの力を奪っていた。

 

「お姉ちゃん、…………………無事?」

 

 胸に穴があいて、血を流しすぎて息をするのも苦しいはずなのに、ロッテの気遣いの言葉にクレアは泣きそうになった。

 だが、まだ可能性がある。涙は禁物。この場にいるのは涙ではなく、迅速な救急措置。

 

「無事だっ! ロッテがかばってくれたから傷一つないぞ!」

 

 瞼が半分しか開いていないロッテの目にしっかりと見えるようにクレアは元気さをアピールした。

 それが視界が細くなっているロッテの目にも映ったのか安堵と僅かな笑みを浮かべた。もはや『良かった』と口にする力もなくなっている。

 

「目、閉じるな! 俺達はまだ出会って一週間もたってないんだぞ!」

 

 駈けつけた大河がロッテを抱えあげて声を荒げる。精気すら失せているロッテを少しでも長えるために大河は必死になってロッテに声をかけ続ける。

 

「ベリオっ! 回復魔法をっ!! リコも頼む!!」

 

 ようやく駆け付けた二人に声を荒げて、命令に近い状態で頼み込む。もはや時は一刻を争う。

 

 

 

 

 ベリオとリコの手から優しい光があふれだす。それはまさしく癒しの光。人の生きる力を活性化させる光。

 

「なんでっ!!」

 

 ベリオから焦りの声があげられる。どれだけ魔力を込めても、どれだけ召喚器に願ってもロッテの胸に空いた穴はふさがらない。ロッテの血のめぐりがよくならない。

 

 それは当たり前だ。何故なら、彼女たちが使えるのはあくまでも『人』を癒す為の力であり、死霊術によって生き変えさせられた、ほぼアンデットのロッテを癒す為の力にはなりはしない。

 

 ロッテを癒すのに必要なのは術者からの力の供給。だが、破滅がロッテを助けるとは思えない。そもそも、ロッテの役割はすでに果たされているのだ。救いの手が伸びるはずもない。

 

 

 それを知らないベリオは汗を流すのも気にせずに魔法を展開させる。目の前で苦しんでいるロッテを助けんと力の限り、魔法を展開する。

 

「マスター、すみません。不可能なんです」

「なんでだよっ!! これぐらいの傷ならふさげるだろ!」

「人でないこの人を、ネクロマンシーで生み出された彼女を助けるには……術者の力が必要なんです」

「…………マジかよ」

 

 リコの答えに大河は絶望した。救いの道はなく、助けるための道はなく、目の前にあるのは唯終焉への道だという事を理解してしまった。

 

「なんとか、なんとかならないのかっ!?」

「…………不可能です」

 

 悔しそうにうつむいて呟かれた言葉に大河は空を仰いだ。クレアも聞こえていたのか、地面に拳を叩きつけた。

 

 

 

 

 

 

「大河、お姉ちゃん……………………………………………………………………………………………………ごめんね。でも、楽しかったよ」

 

 最後の力を振り絞ったのか、ロッテは謝りながらも、己が行った事に何も悔いていないのか笑みを浮かべながら――――

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――死んだ。

 

 

 ロッテの体は光の粒子となり、この世界に何も残せずに死んだ。血だまりすら残せず、ここにいる僅かな者達にだけ記憶だけを残して、この世界から消え去った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「当真、随分とやけ酒ですね」

 

 深夜、全ての人が眠ったかのような時間に蛍火は寮の食堂で、酒を持ちながら、大河に見下ろした。

 そこには耳どころか頬まで赤くし、それでもなお、酒をあおり続ける大河の姿があった。

 

「……………………ほっとけよ」

「平時であれば見逃しますが…………皆さん心配していましたからね」

 

 夕食にすら大河は姿を見せずに、一人にしておいてくれと夜になるまで大河は一人で過ごしていた。

 リコや未亜ですら部屋の中には入れずに大河はふさぎこんでいた。

 

「とりあえず、一杯どうですか?」

 

 蛍火が左手に抱えた酒瓶を揺らす。小さな酒瓶で、その中身は無色透明の酒。見るからに度数が高そうだった。

 

 蛍火がついだグラスの酒を手に持って、すぐに飲み干す。酒におぼれるぐらいしか大河は今はしたくなかったのだが、

 

「げほげほげほっ、ぶはっ!」

「ちなみに、度数は六十度です」

 

 先ほどまで水割りのウィスキーを煽っていた大河にはそんな酒はきつかった。いくらアルコールにしびれた舌であろうとも倍以上の度数であれば咽返る。

 

「なんて酒飲ませんだよ!!」

「怒鳴り声が出せるのなら重畳。ふさぎこんでいるよりもずっとマシです」

 

 大河と同じように蛍火も酒を喉に流す。ゆらゆらとグラスを揺らし、その中で踊る酒を楽しみながら飲んでいる姿に大河はあっけにとられた。

 どこまでもいつもと同じ蛍火の態度が少し奇異に見えた。他の者達は今回の事を腫物のように扱っているというのに。

 

「まぁ、独り言なら聞きましょう。酒の席では独り言は付きモノ。とっとと吐き出しなさい」

「蛍火は、変わってねぇな」

「ふむ、大河がそれを本当に求めるのならそういう風に振舞いますが? 欲しいのはそれじゃないでしょう?」

「…………っち」

 

 蛍火の言葉通りだった。今欲しいの慰めの言葉ではなく、心の整理をつけるための空白。ごちゃごちゃになっている心を落ち着かせるための聞き役。

 

「…………悔しかった。何もできなかったのが。救えると思ってた、ロッテ一人ぐらい必ず救えると思っていた。けど、けどっ!!」

 

 拳を振り下ろしてテーブルに重い音が鳴り響く。大きな音がなって、大河は涙を流していた。

 大切な少女だった。契りを交わした少女でもあった。元の世界に戻って色々と楽しい思い出を過ごした少女だった。未亜と同じように心の底から護りたいと願った少女だった。

 だが、それも全て水泡に帰した。護れなかったという事実が胸に突き刺さる。護りたいと心の底から思っていたのに、守れなかったという事実が胸に突き刺さる。

 

「護りたかった! もっと、色々と楽しませてやりたかった! なんでだよ、なんでロッテが死ななきゃなんねぇんだよ。理不尽じゃねぇか! あんなに苦労したのに、あんなにっ、あんなに!! 思い出なんかにさせたくねぇよっ!!」

 

 拳をまた振り下ろす。涙が拳に降り注ぎ、その涙を振り払うかのように大河はテーブルに拳を振り下ろし続ける。

 わずかな痛みしか大河には返ってこない。だが、その僅かな痛みでも良かった。

 

「俺が魔法を使えていたら……」

 

 その言葉に意味がない事を大河は知っている。過去のIFを語る以上に意味ない事はないと大河は知っている。それは後悔を形にしているだけで、決して意味がない事を大河は知っている。そして、大河には致命的なまでに魔法への資質がない。術式を学んだとしても発動する事は決して出来ない。

 だが、それでも、それでも口にしないと気がすまない。あの時、もしあぁ出来たのなら変わっていたと分かっているから。

 

 

 

 

 大河はこの数日の間にどれほどロッテと話したのか、思い起こすように話した。

 忘れ得ぬように心に刻み付けるために、少しでもロッテという少女の笑顔を思い出せるために大河は語った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 長い間、口を開いたために喉が渇いたのか、酒を煽って大河は気分を落ち着けた。

 

「女性の前で言ったのなら好感度UPのチャンスでしたのに」

「…………蛍火、言っていい冗談と悪い冗談は分かってるよな」

 

 確認すら必要がないほどに大河の気はあれた。こんな事を使って女性の気を引こうとするのはロッテに対する侮辱だと大河は思っている。だからこそ、一人になって一人で片付けようとしているのだから。

 

 そんなドスの効いた大河の声に蛍火は肩を竦めるだけだった。

 

「当真、一つ、お聞きします。貴方はデュクロスを殺して、どう感じていますか?」

 

 無遠慮に蛍火は大河に問いただした。ここでする質問ではない。それは蛍火も理解しているが、それでもその言葉を紡いだ。

 

 蛍火の真意は大河には掴めなかったが、酔っていて尚、分かる蛍火の真剣な眼に大河も口を開いた。

 

「すっきりしてねぇ。ロッテの仇ってしたけど、それでも手に感触が残ってる。いつもなら、モンスターを倒したときはすっきりするのに、今はしてねぇ」

「………………そうですか」

 

 大河の言葉に蛍火は唯、静かにうなずいただけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カランと静かに氷が割れる音が一つだけ食堂に響く。

 大河は酔い潰れて、テーブルの上につっぷしている。そしてその隣には変わらず酒を静かに飲んでいる蛍火だけ。

 

「すっきりしない…………か。お前はやっぱり殺戮の英雄にはなれないんだな。喜ばしい事だよ」

 

 いびきをかいている大河を見て蛍火は一人つぶやく。

 大河は人を殺した事をモンスターと同じと感じなかった。殺戮の英雄になれるのなら大河は人を殺しても何も感じなかったはずだった。だが、確かに大河は人を殺した事がどれほど重いものか心の片隅で理解していた。

 ロッテを失って苦しい心の中で僅かにだが、確かに理解していた。

 

「やれやれ、想像以上の成果だよ。召喚器の覚醒に、終末へと至る種。いやはや本当に最高に俺の望む終わり方じゃないか。あぁ、だから、大河、俺は――――――――――――――――――――謝らないからな」

 

 この事件の本当の首謀者はそう嗤う。本来の蛍火の目的はロッテが大河の傍にいてロッテが失う事によって人としての心の強さを鍛え上げるためのものだった。

 その為に、シャルロッテという人の形をしながら人でない、確実に死をコントロールできる存在をロベリアに生み出させたのだから。

 

 だが、シナリオは二転三転として、大河がデュクロスを殺すことになった。さらに、デュクロスによって大河は決定的な敗北を味わった。それは蛍火にとって本当に、思わぬ儲けものだった。

 人を殺した経験があるのとないのとでこれから起こる戦争で随分と違う。その時になって躊躇が出てきては致命的な傷を負いかねない。敗北を知らぬ者は、無謀になりえる。戦場は慎重に、臆病なぐらいにが程いい。だからこそ、今回の事は何よりも彼にとって何よりも有意義な謀略だった。

 

 彼にとっての本当の願いを成就するのに一歩近づいた。戦争で大河が得るはずだったそれを。否、それ以上のそれを。

 

 

 

「かくして、少年は大人の階段を三つ昇った。愛する者を失う辛さを、人を殺す事の意味を、敗北する事で何を失うのかを知った……か。だが、大河、お前は立ち直れる。傍にお前を慕う人間がいる。そして、運命はお前をこのままでいさせてくれるほど甘くない。

 …………ロッテとお前は本当に劇的だったな。まさにストーリーとして申し分ない」

 

 蛍火は室内から外を見る。そこには無数に広がる星空を映し出している世界。

 

「なぁ、お前も仕組んだのか? 大河が経験するためにこうしたのか? お前も大河がそうである事を望んだのか?」

 

 誰にともなしに彼は語りかける。窓から見える夜空に向かって問いかける。

 

 帰ってくるのは大河のいびきのみ。他に何も答えるものはなかった。

 

 

「…………………俺程度に分かるはずもないか」

 

 

 誰にも届かない蛍火の独り言は、闇と共に消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 人魚姫は泡と消えた。硝子の靴を落さなかったシンデレラは市井に紛れた。

 結末は悲劇となり、喜劇となる。後悔を胸に、未練を胸に、将来への誓いを胸に。

 

 

 

 

 

 何時か淡雪の如く、シャルロッテという少女は記憶の中に埋もれていくだろう。されど、泡の如く消えた少女と過ごした日々は、少年の胸の内から消える事はない。

 

 

 

 


後書き

 

 さて、原作通りにロッテは消滅です。作者が私の時点でというか、題名の時点で分かると思いますが、ロッテが助かるなんて甘い話は存在しません。

 

 蛍火の真意は最後に語ったように、大河を強くする為です。何の為と聞かれても答えられません。この物語では蛍火の真意を全て明かす事は物語の核心の暴露と変わりないですから。

 

 それと、彼は己の行いが決して正しい事ではないと理解して行っています。ですので、思う存分罵ってくださって構いません。

 

 

 

 皆さんは悲劇というモノについてどう思うでしょうか? 悲しい話? 酷い話? かもしれません。

 ですが、こうは思えないでしょうか? ロッテは確かに幸せだったと。生きていることが必ずしも幸せではないですし、幸せというモノは人によって形が違うものです。泡沫の如き短い間でも燃える恋をする事が幸せだと思う人もいるでしょうし、蕎麦のように長く怠惰な人生を過ごすことを幸せだと思う人も居るでしょう。

 

 その中で、ロッテは確実に前者だと思います。彼女は死んでしまいましたが、それでも幸せな記憶を夢見て最後を迎えられたのです。その証拠に彼女は最後に笑っていたのですから。

 

 

 人によって幸せは形が違います。何処かの偉い人は「幸せは似たような形で、不幸は人それぞれ」といいましたが、私はそれに対して真っ向から否定します。幸せは人それぞれです。

 皆さんはこの物語をどう捕らえたでしょうか? やはり、唯の悲劇? それとも、幸福な泡沫の物語?

 

 物語の角度を変えて見る事で全てが変る事を皆さんに理解して欲しく思います。

 

 

さて、皆さんはこの外伝を通じて紛れ込んでいる重要なヒントに気付けたでしょうか? 気付けたのなら是非とも胸の内に閉まっておいてほしいです。




外伝もこれにて終幕、か。
美姫 「蛍火にとっては当初の予定よりも収穫があったみたいね」
だな。それはつまり大河にとっても、という事にもなる。
美姫 「まあね。分かっていたけれど、やっぱりロッテは助からなかったわね」
ああ。あと、後書きで言われているヒントなんだが。
美姫 「気付いたの?」
いや、分からない。ヒントは別として気になる事はあるけれどな。
美姫 「さて、これから本編はどうなっていくのか」
そちらも楽しみにしてます。
美姫 「待ってますね〜」



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